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体性感覚とバーチャルリアリティ

岩田洋夫

現代の電子メディアの持つ最大の特徴を挙げるとすれば、それは身体性の喪失という点であるといえる。電話やテレビは人間の目と耳の届く範囲を飛躍的に広げた。しかし、一方でこれらの電子メディアが我々の経験する世界を歪めていることも事実である。テレビの中で人をなぐったり傷つけたりしたとしても、その痛みはまったく伝わってこない。

我々が日常触覚と呼んでいる感覚は、生理学等の専門領域では体性感覚と呼ばれる。体性感覚とは、皮膚に分布した感覚受容器の検出する情報と、筋肉や関節にかかる力の感覚が複雑に合わさったものである。この感覚は人体と外界との物理的な相互作用があって初めて発生するものであり、自身の運動と不可分であることが視聴覚と著しく異なる。さらに、体全身の任意の場所で発生するため、この感覚を人工的に合成することは極めて難しい。それゆえ、今日普及している電子メディアは体性感覚に訴える情報を与えることができていない。私の研究の焦点はこの体性感覚情報をいかに合成的に呈示するかという点にある。

私がこの課題に取り組み始めたのは筑波大学に赴任した1986年からである。裸一貫から立ちあげた研究室が動き始めたのは1988年のことであり、その年に手に仮想の力覚を与える装置(「ハプティックインタフェース」または「フォースディスプレイ」と呼ばれる)の試作1号機ができた。この装置は小型のマニピュレータを用いて仮想物体を持った時の硬さや重さを表現するものである。ハプティックインタフェースとして用いることを前提に設計されたマニピュレータはおそらくこれが世界初であろう。それ以降ハプティックインタフェースは私の中心的な研究課題となり、様々な形態の装置を試作してきた。最も新しいものはFEELEXと名づけた、3次元的な形状と硬さを表現できる装置である。これは映像に直接手で触れる感覚を与えるため、人間にとって自然なインタラクションを可能にする。

ハプティックインタフェースとならんで私が研究を続けてきたテーマとしてロコモーションインタフェースがある。これはバーチャル空間を足で歩いて移動する感覚を合成するためのインタフェースデバイスのことを意味する。人間にとって最も生得的な移動手段は自分の足で歩くことである。1989年に作った最初の試作システムは、キャスターを取り付けたローラースケートをはいてパラシュートのようなハーネスで体をつるすものであった。この方式の最も進んだものはトーラストレッドミルと名づけた、どの方向にも無限に動く床を作り、本人の動作に合わせて床が元の位置に戻すように動くものができている。これは12個のベルトコンベアを数珠つなぎにすることによって、前後左右に動ける床を構成している。このような装置は、災害時の非難のシミュレータとして応用されている。また、階段のような凹凸面が模擬できるGaitMasterと名づけた装置の開発も進めている。

空間における移動感覚は広視野映像によってもたらされる。人間の視野全てを映像で覆う技術として、球面没入型ディスプレイの開発を1990年代の後半から進めてきた。最近のものはEnsphered Vision と名づけた、凸面鏡を用いて全周球面スクリーンに継ぎ目の無い映像を投影するものである。このようなディスプレイは、ハプティックインタフェースやロコモーションインタフェースと組み合わせることによって、高度なバーチャルリアリティを実現することが可能である。

以上述べてきたような体性感覚メディア技術はまだ緒についたばかりであるが、研究を続けることによって、将来電子メディアの中に身体性を復興させることが可能になるであろう。